市丸博司のPC競馬ニュース 谷川善久の枠内駐立不良につき
 第675回 2014.1.20

恒久的な競馬開催のために 2014年版(前)


 2013年、JRAの馬券売上げは2兆4049億円オーバー、前年比100.4%の微増を記録した。それじたいは喜ばしいことだが、大震災前の水準には達していないし、4兆円時代を知る者としては「まだまだだな」という思いも抱かざるを得ない。それに、ここ数年の流れを見る限り、この先もプラス成長を続けられるかと問われれば頭の中にはクエスチョンマークが浮かぶのが事実だ。
 競馬場の光景やネットでの競馬談義などを見て、なんとなく「新しいファンも増えつつあるんじゃないかな」との印象を持っていたのだが、それすら怪しい。競馬への参加人員はここのところ横ばいというか、1億6000万人前後を行ったり来たりしているのが現実だからだ。

 単純に馬券が売れればそれでいいのか、ファンが増えればそれでいいのか、というと、まぁそうではないだろう。「まずは面白い競馬を実現するのが第一」「既存ファンに対する手厚いファンサービスも重要」という考えもあって当然だ。

 ただ、競馬はスポーツやホビーであると同時に商業活動であり興業でもあり、馬事文化や農林水産業を支える土台の一部でもあるわけで、いまより売得金額が増えればそれだけ「競馬をより面白くするために、あるいは広く深くファンに利益を還元するために、馬事文化を発展させるために、農林水産業従事者の生活を豊かにするために」できることも増えるのは確か。
 少なくとも「関係者もファンも幸せになって、恒久的に良好な経済活動と興業が続けていける」だけの売上げをキープし、競走馬の生産から競馬の開催、馬券の購入、果ては私のように競馬周辺で仕事をしている者の収入に至るまで、一連の“競馬におけるお金の動き”について、適正なマーケット規模を維持することは不可欠、というのは間違いないだろう。

 が、そもそも“適正な規模”とは、どの程度なのだろう。
 馬券の売上げやレースの賞金レベル、競走馬の価格、競馬主催者の設備投資やサービス投資、ファンひとりあたりの購入額などについて、何が適正なのか、どのラインが「関係者もファンも幸せになって、恒久的に良好な経済活動と興業が続けていける水準」なのだろうか。
 実はここが、判然としない。

 日本競馬の歴史を作り上げてきた大手オーナーブリーダーが行き詰まっていたり(もちろんそこには、自身の経営努力・経営能力の有無や『社台ひとり勝ち状態』といった各事象の影響もあるのだが)、かつては“ドル箱”などと絶対視されていたネット上の競馬関連コンテンツが下火になっていたり、生き残っている競馬雑誌の数が少なかったり、そうした現状からは「健全な水準には、ちょっと足りない」のではないかと、競馬の周辺で仕事をする身としては感じている。

 いっぽう、確かに競馬人気は一時より落ち、前述の通り競馬関連コンテンツが持つ集客能力・集金能力も衰えたとはいえ、スポーツ新聞においては依然として重要なコンテンツとして機能しているし、TVやインターネットを通じてかなりの規模の情報流通量も確保されている。他のスポーツに比べれば、まだまだ恵まれた経済環境・市場規模にあるように思える。

 さらにいえば、この二十数年、バブル、競馬ブーム、失われた10年、サンデーサイレンスの大隆盛、ディープインパクトの登場、リーマン・ショック、政権交代、大震災、馬券裁判……と、日本の政治・経済も競馬環境もイレギュラー性に満ちていた。
 また、かつては単複と枠連しかなく、一発大穴には限度があった。競馬で暮らすなんて、夢のまた夢だった。だから、牧歌的というか、大儲けといってもせいぜいその日の夕食が豪華になったり、温泉旅行レベル、ある意味で「細く長く競馬と付き合っていく覚悟」のようなものを抱きながら馬券を買ってたいたように思う。
 が、近年は3連単やWIN5がある。わずか100円の投資で月収レベルや年収レベルを稼ぎ出すことも、ひょっとしたら一生遊んで暮らせる額を手にすることも可能な時代だ。

 そんなこんなで、誰も“適正な競馬マーケットの規模”を把握できていないのだが、競馬場に身動きとれないほどの人が溢れかえっていた時代、年々数千億という単位で売上げを伸ばしていた好調期を知る人たちは「なんとなく、ちょっと足りないかな」と感じている、それが現状ではないかと思う。
 よって、いきおい主催者は売上げや参加人員の面で「ともかく前年比プラス」だけを追って汲々とし、ファンはファンで「WIN5で2億円当たれば、一生遊んで暮らせる」と目先の一攫千金だけにすがってしまうのだ。

 まずここはひとつ、「関係者もファンも幸せになって、恒久的に良好な経済活動と興業が続けていける水準」を目指す者すべてが、共通の認識として、どこかにラインを設定すべきではないかと思う。
 年間の売上げが3兆円とか、年間の総参加者数がこれくらいとか、実際の競馬ファン人口がこれくらいとか、理想像というかベースを作る。もちろん、それらは過去の実績から無理のない範囲で導き出されたモノでなくてはならないだろう。物価上昇に合わせてベースがスライドアップしていくのも当然である。
 また「現状のマーケット規模では実際にこうした弊害が出ている」といった分析も必要であり、「だからこれこれを目指さなければならない」という流れも必須。このベースを実現できればこれだけのレース数とこれくらいの賞金レベルを保てる、こんなファンサービスが可能になる、競走馬の取引価格がこれこれの水準でキープできる、生産者など競馬関連産業従事者の収入はこうなる……といった将来予測的データも必要だ。そのマーケットの規模なら、競馬目当てに新聞や雑誌を買う人の数はこれくらい、馬券意外に落とすお金の総量はこれくらい、といった目算も立てられるだろう。

 要は、競馬界トータルにおける、いわゆる経済効果ってやつの実際値と目標値を、細かなところまで、みんなで共有するのである。
 難しいことだとは思う。でも、どんな産業界だってそうした予測値や目標値をもとにして動いているんじゃないのか。
 ベースが定まれば、主催者側としてもやりやすかろう。どんな手を打てばどれくらいファンが増え売上げが伸びるか、費用対効果の目安も立てられる。長期に渡る競馬産業復興計画も立てられる。馬産から調教、レースなど競馬の各段階に携わる人たちも、将来図を描きやすくなる。ファンの側としては、ひとりあたり年間これだけの額を買えば「関係者もファンも幸せになって、恒久的に良好な経済活動と興業が続けていける水準」に貢献できるかがわかる。

 これだけのマーケットがあれば、まだ有料コンテンツが新規参入できる余地もあるな。一定以上の額の馬券を購入した人に対するサービス拡充も期待できるな。クラブ法人の規模もまだまだ拡大できるな。そんな未来だって広がるし、いっぽうで、破たん必至な規模の投資や、不相応な価格で競走馬が取り引きされることなどは減り、まさに「関係者もファンも幸せになって、恒久的に良好な経済活動と興業が続けていける水準」へと、安定的に、実態として近づいていくのではないだろうか。

 その、“適正な競馬マーケットの規模”を考える場面では、なぜ、どんなふうにして、売上げが減り、ファン人口が頭打ちになったのかを知る必要もある。

 最盛期、といっていいのかどうかわからないが、4兆円を売り上げたのは平成9年、すなわち1997年(実のところ、私自身にとっても「競馬関係の仕事での収入がもっとも大きかった」のが、その頃だった)。また総参加人員が1億7768万人を記録したのが平成20年、つまり2008年だ。
 それぞれの年の活躍馬を振り返ると、1997年はサニーブライアン、メジロドーベル、エアグルーヴ、タイキシャトルなど、2008年はディープスカイ、ウオッカ、ダイワスカーレットといったあたり。みな競馬史に名前を残す存在ではあるが、じゃあ「競馬ファン以外にも知られている馬か?」というと、そうでもない。

 いわゆる“平成の競馬ブーム”といわれた1990年代序盤や、ディープインパクトが社会現象にもなった2005年〜2006年ではなく、その3年〜5年後にピークを迎えているというのが面白い。ひょっとすると「ブームによって入ってきたファンが定着し、ボカスカと馬券を買ってくれるようになるまでの期間」として、3年〜5年を要するのかも知れない。
 あるいは「競馬に興味を持った当時はまだ若く、馬券に突っ込める額も多くなかったが、それから数年たって収入も増え、競馬に対する知識も深まり、そうした頃に、かつて応援した馬の子どもたちがデビューして、馬券にも熱が入る」なんていう、幸福なサイクルがそこにはあるのだろうか。

 で、そのピークの翌年から売上げやファン人口は減少しているわけだが、じゃあ1998年や2009年に何があったのかと振り返ってみる。
 思い浮かぶのは、たとえば「インターネットの普及が加速しはじめた」とか「リーマン・ショックが日本も襲った」といったことだったりする。それを踏まえて、もう一度「関係者もファンも幸せになって、恒久的に良好な経済活動と興業が続けていける水準」について考えてみよう。  (つづく)

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