競馬的『あまちゃん』論と『あまちゃん』的競馬論(1)
人生において屈指ともいえる幸福な6か月が去ってしまった。
いうまでもなく『あまちゃん』が最終回を迎えたことを悲しんでいるのである。下手したら早あま、本あま、昼あま、夜あま、録あま、週あまと1話あたり計6回観たりしていたので、喪失感は大きい。濃密な半年よ、さらば。『あまちゃん』に関わったみなさん、どうもありがとう。
人生80年としたら160分の1=0.625%の期間ずっと付き合ってきた、あるのが“当たり前”だった存在がエンディングを迎えたわけだ。0.625%といったら、あーた、年間のJRAのレースに占める若手騎手限定競走と同程度の割合なんだぞ。それが無くなったらと考えてみてよ。……。たいしたことないか。
もとい、来年からG1はありません(年間約3450レースのうちG1は24レースだから、だいたい0.7%)、くらいの大事件なのだ。
まぁ『あまちゃん』と無縁だったかたがたには大仰なように思えるだろうが、ハッキリいって『あまちゃん』をリアルタイムで楽しめなかったというのは、競馬ファンに置き換えるとTTGやハイセイコーやオグリキャップやディープインパクトやオルフェーブルの凱旋門賞出走をリアルタイムで体験できなかったのと同じくらいの“もったいない”度だということは肝に銘じていただきたい。
で、例によって『あまちゃん』を通じて得たもの感じたことを、無理やり競馬とリンクさせながら語らせていただこうと思う。真っ当に『あまちゃん』を語り始めたら全話と全キャラクターの解説=書籍にして240ページ分くらいは軽く書けちゃえそうだし、それらをコジツケ・スピンロールで競馬と結びつけることも自分だったら可能であるとも思うのだけれど、ここはグっと絞って6つの要素だけにしておこう。
すなわち、「時制」と競馬における表現スタンスについて、「パラレルワールド」と競走馬の力量分析について、「3つのファクターの相互作用」と展開予想について、「トータルパッケージ」とブレンド予想について、「死」と自己分析について、そして「パート2」と番組体系および血統について、である。
あ、『あまちゃん』についての完全ネタバレになるし、いっぽうで『あまちゃん』の細かなところはスっ飛ばして語らせていただくので、これからNHKオンデマンドやDVD/BDで観ようと考えているかた、内容は知らんし今後観るつもりもないというかたは、速攻でブラウザを閉じていただくか、他のサイトへの移動をお願いいたします。
さて『あまちゃん』では、東京でアイドルを目指していた頃=1984年〜1989年の春子さんの様子がたびたびフラッシュバックされる。ここでの出来事が現代でも大きな波紋を呼び起こしたり、当時に蒔かれたタネが現代になって花開いたり、あの頃のわだかまりが今になってようやく解決したり、あるいは当時の出来事が25年を経て繰り返されたり……、と、とにかくこの「時制の行き来」はストーリー展開における重要なポイントとして機能している。
競馬でも“あの頃”と現代とを対比させたうえで何かが語られたり、“あの頃”からの時空の連続性を意識させられたりすることは多い。
基本的に同じレース体系・距離体系が毎年繰り返される競馬では、過去の傾向の積み重ねがしきりに持ち出されたり、“あの頃”との同一性や差異が語られたりするのは、ほとんど当然のことといえる。あるいは、競馬では血統というファクターが重要視されており、血のつながりが縦軸となって時間を貫き、“あの頃”と現代とを瞬時にして結びつけることもままある。
「そういえば○年前にもこのレースでは、こういう馬が穴を開けたんだよな」とか「やっぱこのレースは、この馬の子に勝ってもらいたいよな」とか「このジョッキー、ようやくあの時の悪夢を払拭できたな」とか。
ちなみに1984年〜1989年といえば、シンボリルドルフ、カツラギエース、ニホンピロウイナー、ミホシンザン、メジロラモーヌ、マックスビューティ、サクラスターオー、ニッポーテイオー、タマモクロスと来て、そして平成の競馬ブームへと至る時代。
当時活躍した名馬のうち、いまでもその血を伝えている存在は数えるほどだ。が、それでもオルフェーヴルやゴールドシップの血統表には懐かしい名前が見られるし、ダイナカールからの牝系は続いているし、シンボリルドルフの息子トウカイテイオーの死がニュースになったりする。1989年の有馬記念に乗っていた騎手のうち、いまでも現役なのは武豊だけ。が、当時のトップジョッキーの息子たちがいまや手綱を取っていたりして、そこで呼び起こされる感慨もある。
また、○年ぶり、といったスパンで何らかの記録が更新されることもあって、そこで当時を知る者たちが“時間のつながり”を意識することもあるだろう。
ただし当然ながら“あの頃”と現代とが完全に一致したり完璧にリンクしたり、そのまんまリフレインされたりすることは、まずない。レースも血統も騎手・調教師の顔ぶれも様変わりした。大牧場がなくなったりしている。重賞は増えた。
たとえば今後、ディープインパクトの息子が父親と同じ歩みにチャレンジし、かつ凱旋門賞制覇や無敗のままの三冠&無敗のままの引退といった父超えを目指すとしても、各レースの施行時期や条件が変わって物理的に不可能となることだってありうるし、相手関係ももちろん異なる。
20年や30年を要するまでもなく、4〜5年もすれば競走馬の勢力図なんかガラリと入れ替わる。番組だって組み替えられる。馬場だって去年と今年では同一じゃない。そうしたことに応じて競馬の中身も変化する。競馬はダイナミックに動いているのだ。
にもかかわらず僕らは、ちょっとばかり“あの頃”に、あるいは“あの頃”と現代との連続性に、固執しすぎているのではないか、という気がしてきた。
確かに、歴史は繰り返す。“あの頃”と同じような馬が勝ったり人気を裏切ったりすることもある。私自身、そうした過去の傾向を重要視して予想を組み立てている。それが功を奏することだってある。
けれど、競馬のありようは年々変化しているのだから、単純に「あの時こうだったから、今回もこうなる可能性は高い」というアプローチではダメなんじゃないか、という気がするのだ。
また、競馬における「あの頃と現在とを結びつける思考」ってのは、得てしてノスタルジー成分が過剰に混じるものだ。それは仕方ないとしても、それだけにとどまっているようでは“あの頃”を振り返る意味などない。
たとえば今年のJRAのTVCМでは、過去の名馬がフィーチャーされている。そこで紹介されるのは確かに普遍的な輝きを持った馬たちばかりだ。
でも、昔と今とでは競馬の流れも名馬の条件も異なる。そもそもCМの作りが、ゴール前を雑に切り取ったものというイメージで、観た人たちが「昔こんなことがありました。こんな馬がいました」的ノスタルジー以上の想いを果たしてつかみ取ってくれているかどうか……。
また“あの頃”に見た馬の子に夢を託すという楽しみは、ある意味で競馬のベーシックな構成要素であるとは思う。でも、その想いに囚われていると他の楽しみをないがしろにしてしまう恐れだってある。
私自身も仕事柄、過去の傾向を踏まえたうえでの予想だとか、いわゆる名馬物語・名勝負回顧的な原稿を書く機会が多いので大部分は自戒なのだが、予想にせよ回顧にせよ“あの頃”を俎上に載せる場合は、ノスタルジーや「昔こうだったから次もこうなる」という単純な妄執に囚われるのではなく、“あの頃”を意識しつつも、そこから得たヒントや歴史的事実を反省して消化して進化させて分解再構築して、あくまで“現在”と“未来”とを見据える方向に持って行かなくてはならないはず。
あの頃はこうだった。でも、いまは条件がこう変わった。だから次はこうなる。さらに未来には、こういうことが待ち受けている。そんな、過去から未来を貫くスタンスが、予想や回顧文には求められるのではないだろうか。
あのTVCMだって、たぶん「こんなことがありました。こんな馬がいました」ではなく、「こんな凄いレースが繰り広げられる可能性がある。こんな名馬が次々と誕生する世界がある」という現在進行形・未来期待形としての競馬をアピールし、「その瞬間を見逃すな」というメッセージを込めたものであるはず。残念ながら十二分にその想いが伝わっているとは言い難いが、姿勢としては正解だろう。
今後“あの頃”を振り返る場合は、一直線に現代と結びつけるのではなく、その間に起こった変化、現代の常識、さらには未来予測までを総合的に考慮しつつ競馬を語っていくことで、ダイナミックに動き続ける競馬の魅力を伝えよう。いまこの瞬間だからこそ可能な競馬論・予想論・馬券論を展開していくことを、これまで以上に意識しよう。
『あまちゃん』いわく、人生は「明日も明後日も、来年も続く」。競馬だって、明日も明後日も来年も続く。だからこそ“あの頃”=過去は、懐かしむだけでなく、ダイレクトに現在とつなげるのでもなく、反省して消化して進化させて分解再構築して、そのうえで目の前にあるレースや来年の競馬、すなわち“現在”と“未来”とを語る行為に生かさなければならないと、そう思うのである。
(つづく)