市丸博司のPC競馬ニュース 谷川善久の枠内駐立不良につき
 第663回 2013.9.9

甲子園とピカドンとタバコ〜夏競馬を考える(結)


 ちょっと『はだしのゲン』問題を寝かせておいたらその間に閲覧制限が撤回された、という事態に続き、『風立ちぬ』におけるタバコ吸い過ぎ問題を先送りにしたら、なんとまぁ宮崎駿氏が監督業から引退してしまった。
 ひとまずは、お疲れ様でございます。正直、ジブリアニメは好みに合わなかったり読み取るのに脳の体力を徒に要するものだったりでそれほど思い入れはないのだけれど、それ以前、つまり『風の谷のナウシカ』や『ルパン三世 カリオストロの城』あたりは文句なく面白いし、『未来少年コナン』は自分の生涯を左右するクラス、日本のアニメ史に残る最高傑作だと信じている身としては、本当に感謝と労いの想いしかない。

 そんなわけで、いささか、というか、もはや完全に時期を失してしまったことは承知のうえで『風立ちぬ』におけるタバコ吸い過ぎ問題と、そこから学ぶことのできる“競馬への向きあいかた”について話を進めていくことにしたい。

 説明するまでもないだろうが、宮崎駿監督による映画『風立ちぬ』に喫煙する場面が多すぎる、喫煙行為の扱いもあまり褒められたものではないと、NPO法人の日本禁煙学会がクレームをつけた、というこの問題。
 まぁ世の中の反応とか、このクレームに対する巷の反論などはそれぞれ調べていただくのがいいかと思うが、簡単にいえば「銃を撃つシーンが多い」と戦争映画に文句をつけたり、「人が人に噛みつくなんてっ」とゾンビ映画に目くじらを立てたりするようなバカバカしいおこないである。
 もしも映画(およびその他の表現物)において、誰か特定の人物や団体が少しでも「倫理上好ましくない」と感じるのであればその描写は認められない、なんて価値観がまかり通るとしたら、犯罪も婚前交渉もウソも親不孝も魔法も描けなくなるわけで。

 というより個人的には、こうしたクレームをつける人って可哀想だなぁ、なんて思う。だって、映画における1つ1つの描写の“意味”をあれこれと深く考えたりする力や心を持たない人、想像力が欠如した人だろうから。
 そんなの、何が楽しくて生きているんだって話だ。

 ただ、好意的(っていうのもヘンだけれど)に解釈すれば、ただ単純にケチをつけることだけが目的ではなかったんだろうな、とも思う。宮崎アニメという注目度の高いものにクレームをつけることによって、こうして話題になり、日本禁煙学会は知名度を上げることに成功した。「タバコの是非」だとか「映画の登場人物がタバコを吸うことで観る者が受ける影響」などについて多少は考えてもらうキッカケともなっただろう。
 恐らくはそれこそが、学会さんの狙い。ま、それにしたって売名行為と批判されるべきことではあるんだけれど、少なくとも「こういうこと(クレーム)をすれば、こういう反応が起こるだろうな」という想像力(付け加えるなら『批判も受けるだろう』という覚悟もだ)を働かせたうえで取った行動の結果だとすれば、何も考えず反射的かつヒステリックに「登場人物にタバコを吸わせるなっ」と叫ぶことより、人としての罪は遥かに軽いと思う。
 というのが、この問題における私自身の想像力の発露である。

 そう、この“想像力”が、あるいは「何か事が起こったり、『あれ?』と感じることを目にした際に、その出来事の裏にあるものの検証に取り組む意識・姿勢」が、人生にも、そして競馬にも大切なのだと思う。

 ある目立たない血統が、特定のコースで抜群の成績を残しているとしよう。人気薄でもバンバンと走る。はたまた、リーディングを争い勝率も高い優秀なジョッキーなのに、ある特定のコースだけを苦手とし、ちっとも勝ち星をあげられない、とか。
 データを集計した結果「Aという血統は、もう買っているだけで穴馬券がバンバンと引っ掛かって儲かる」とか、「逆にB騎手は、どんなに有力に思える馬に乗っていても人気やオッズほど走らず損をするばかり」といった事実まで出てきたりする。
 これは仮定の話だが、現実にそういうことはある。

 たとえば過去5年の集計だと「9月〜10月の3歳未勝利・ダート戦では『関東の騎手が乗った関西馬』の単勝を買っているだけで、138頭中13頭が勝利、的中率は13%、回収率は189%になる」という事実がある。アグネスタキオン産駒も92戦11勝、勝率12%で回収率は165%と優秀だ。
 ところが逆に、同じく9月〜10月の3歳未勝利・ダート戦において、1枠1番の馬は218戦12勝で勝率5.5%、回収率はたったの25%。クロフネ産駒は83戦5勝で勝率は6%、回収率は16%にとどまっている。

 これらのデータ/傾向を、ただ単純に利用して馬券に生かすのも、もちろんアリだ。目の前に「こういうタイプは成績がいい。馬券的にも儲かる」という事実があれば、もしくは「こういうタイプはこの条件を苦手としていて、人気でも危険だ」と言い切れるだけの材料があるなら、そのまんま、細かいことなど考えず馬券に生かせばいい。これだって立派な馬券術だし、私自身、そういう方法論の本を作ったり、自分の馬券に取り入れたりもしている。

 が、単純に事実を、何の疑いもなく受け取るだけではなく、そこで『なぜ?』と踏み込むことのできる人が、長い目で見ると、競馬を楽しめるんじゃないかと思う。競馬の勝敗や競走馬の優劣がどのような理由で決まるのか、すなわち競馬の真理とでも呼ぶべき領域に近づけるのではないかと思う。

 格別目立つ傾向だとか、どう考えても不自然だとか、他のデータと比べるとなぜか整合性が取れていない事象とか、そんな出来事に出会ったときにはスルーせずに、『なぜ?』と考えてみる。そこでは、まずは「こういうことなんじゃないか」と想像力を働かせることも必要になってくるだろう。
 想像をもとにしてある仮定を立て、そのうえでデータの分析や再検証を進めてみる。あるいは、事実としてあるデータ/数値や、想像とか仮定とかをもとに、どこにポイントを置いてレースを観戦するかといったスタンスを決め、本当にデータ通りなのか、ある種の傾向が出てくる陰にあるものは何なのか、想像や仮定が正しいのか、あれこれと考えながらレースを見守る……。

 そんな作業の繰り返しの果てに、「あっ、そうか。これこれの理由で9月〜10月の3歳未勝利・ダート戦では1枠1番の馬が苦戦しているんだ」などと光が見えてくる。その気づきをさらに確固たるものにするために、また別の角度からデータを取りなおしてみる。
 そんな姿勢こそが、競馬の正しい楽しみかたなんじゃないだろうか。もちろん、そうやって何か重要な事実・真理に気づいたなら、今度はそれを展開・応用して次の予想と馬券に生かせばいい。
 想像や仮定が間違っていたって構わない。だって競馬って、思いつきと思い込みと思い違いのゲームなのだから。また次の『なぜ?』を見つければいいのだ。
 くれぐれも、ただ短絡的にヒステリックに「なんで1枠1番っていう先行しやすい枠なのに凡走するんだよ」などとクレームをつけるだけのファンにはなりたくないものである。

 で、最後に。今回の当コラムシリーズで取り上げた高校野球も『はだしのゲン』も『風立ちぬ』も、“戦争”と深い関わりのあるものだ。高校野球はノックアウト・トーナメント、負ければそこで終わりの戦争であり、終戦記念日を挟んで大会がおこなわれる。『はだしのゲン』はどこを割っても戦争漫画。『風立ちぬ』は戦前〜戦時中が舞台で、主人公は零戦の開発者だ。
 個人的には、海でもラジオ体操でもスイカでもロックフェスでもなく「夏といえば戦争でしょ」というイメージを抱いているのだが、同様に感じている人も多いのではないか。
 このイメージを、競馬への親しみやすさを増強させるために役立てる手もあるはずだ。

 夏の重賞を結ぶ「サマーシリーズ」は、だから、もっと評価されていいと思う。恐らくは、GIのないシーズン、ローカル開催でライトなファンの興味が競馬から離れがちな時期ゆえに打ち出した「夏場はこんな楽しみがありますよ」的な策なのだろう。が、単一のレースだけでなく複数のレースによって勝者が決まる、つまりは“戦い”要素を長期間持続させるこうした企画を、よくぞ夏に持ってきたものだと思う。
 ただ、まだまだ不満。より鮮烈な形で、馬と馬、騎手と騎手が戦争を繰り広げていると感じられるようなイベントというか、視点を持ち込めないだろうか。

 関東馬vs関西馬、若手騎手だけの対抗戦、条件馬によるノックアウトトーナメント、そうしたニュータイプの条件・レースに応じた新馬券や投票企画、馬券対決……など、より多くの馬や騎手に「この戦争に勝ち抜けば天国だ」と思わせ、チャンスとサバイバル意識を与えるような、夏といえば戦争でしょ的な競馬を実現できれば、夏競馬はより親しみやすく、熱くなりやすくなって、さらなる発展を遂げられるのだと思うのである。

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